「まだ出来る。まだやれる」
311号 2016年10月発行に掲載
310号の拙文「うん、おれもまだいけるぞ」で、「元気をもらった」という声を聞くことができて嬉しかったです。人生に四苦八苦ありとは、子どもの時から耳にしていますが、若い時はそれを自分のこととして真剣に考えたことは無かったように思います。
お釈迦さまが仰るように、「生老病死」は避けられないことだと本当に実感し納得したのは、自分が老境に入ってからでした。
それと同時に、仏教国でありながら、今の日本はあらゆる分野で、生老病死を忌避する傾向があることに気付きました。「いのちを大切にしよう」という言葉が溢れているのにです。ここに日本の今の不幸があると思っています。ただ一度きりの人生、生老病死は避けられない事実。それを受け入れることから「いのちを愛おしむ心」が湧いてきます。
自分のいのちは勿論、人のいのちをもです。
戦前、戦中に事ある毎に耳にし、暗記させられた「教育勅語」を知っている年代の人で、今こそそれを復活すべきだと言っている人がいます。確かに、そこには「君に忠に」は兎も角、「親に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、盟友相信じ、博愛衆に及ぼし云々」とあります。家族制度が確立していた時は、当然の規範として受け取っていたものの、「博愛衆に及ぼし」に至っては、戦況が悪化してからは、「敵愾心」つまり「鬼畜として敵を憎め」と事ある毎に言われたものです。お題目だけ何度唱えてみても無力なものだと、敗戦を迎えてから身にしみて感じました。今、教育の現場に「道徳」の教科が持ち込まれようとしていますが、何か虚しいような気がしています。
政治を初め教育でも医療でも、「生老病死」をしっかり受け入れる、それを基盤にして立ち上げなければ、どんな立派なことを言っても「砂上の楼閣」に終わってしまうと思っています。
その功罪はさておき、家族制度が無くなった日本の家庭では、年寄りから人生を聞かされることは極めて少なくなりました。
言葉に言われなくても、長い年月を生きて来た、そして死んで行く姿を直に目にすることが出来なくなっているのは、何ともったいないことでしょう。
今年の総集会で、渡辺聖子さんが「アメリカでは『一人が亡くなると一つの図書館が無くなる』という言葉がある」と仰ったことを憶えていますが、戦争を語る人がどんどん少なくなって行くことに危機感を持っている私には、渡辺さんの話は実に重みがありました。私は最近、人生は未踏峰の山に登るようなものだと考えています。「自分の前に道は無く、自分の後に道が出来る」と誰かが言っていましすが、正にその通りで、道しるべの無い、頂上も見えない山道を一歩々々登って行く。1歩毎に新しいものが見えてくる。はっと気付かされることがある。それは大きな喜びであります。
年をとると、去年出来たことが今年出来なくなる。あちこち痛くなる等々。それを考えると情けなくなりますが、しかしそれが人間の姿であり、生きているということであります。出来なくなったことを嘆かず、「まだこれが出来る。まだこれがやれる」と考えると、数え切れないほどの可能性が自分に残されていることに気付きます。実にありがたいことだと思わざるを得ません。兎角年をとることをマイナスに考えがちですが、常に今できることを感謝して生きる。「そうすると人生が楽しくなりますよ」と私はいつも仕事の現場で患者さんに話しています。年をとった人だけでなく、大病をされた方など、「先生の顔を見たら元気が出ました」と言って下さいますが、「私こそ、皆さんからパワーをもらっているんですよ」と言います。片一方ということは無いのですね。
お盆が過ぎてから、私の医院の玄関に「9月21日から29日まで休診させて頂きます」という掲示を出しました。それから数日経った頃、職員の一人が、「私の母から『丸岡先生が入院されるんだって?』って言われたんですよ。先生が仕事をやめるという噂もあるようです」と言うのです。こんなに長く休むとなると何があるのかと考えても不思議でありません。まして元気だと言っても米寿を過ぎているのですから。あわてて、「みなさんに、休む理由をはっきり言った方がいいね」ということにしました。
実は3カ月前のこと。私には盛岡に97歳になる兄が居るのですが、その息子の嫁さんから「おじいちゃんをイタリーに連れて行っていいですか」と訊かれたのです。声楽家の彼女が、9月に北イタリーに住んでいるピアニストの親友と向こうでコンサートをやることになったのですが、兄が「おれも行きたいな」と言ったのだそうです。10年程前にも兄は一緒に行ってベネチアで絵を描いているのです。私は彼女の気持ちが嬉しく即座に「大賛成だよ」と言いますと、「それじゃ、おじさんも行きましょうよ」と言うことになったのです。一昨年に南フランスに絵を描きに行っていますが、今回は二度目のヨーロッパです。彼女は「おじさんと一緒に行けるなんて夢のようだわ」と言ってどんどん話を進め、私は絵の道具だけ持っていけばいいように段取ってくれました。油絵では欠かせられない溶き油の類は機内に持ちこめないので、ピアニストの友人が向こうですでに買い揃えてくれていました。97歳と88歳の年寄りを連れて行くのですから。普通なら考えられないところですが、私たち兄弟の普段の生き方を見ている彼女は、全く不安を感じていないようでした。
このようなわけで、噂はまたたく間に拡がり、患者さん達から「先生気をつけて行って来てください」とか「いい絵を描いて来て下さい」とか毎日のように言われています。
言葉だけでなく、私のこうした行動が説得力を持っているのでしょうか、仕事場でも、みなさん、私の話を良く聞いて下さいます。
私は、自分が80歳になって初めて80歳の患者さんのことがよく分かったと思ったのですが、それは88歳になった時も同じように感じました。この年になってもまだ医者としての仕事がある。今後足腰が弱ったとしても、生きている限りは現役でいられるような気がしています。